「やる気が出ないからやらない」の対偶
発信しようと思いつつ、しばらく「やる気が出ないからやらない」という状態でした。
「発信する媒体は note でいいのかな?」と考えたり、既に発信している人たちの記事を眺めながら「自分だったらこう発信したほうがいいかも?」などと考えているだけ。
「やる気が出ない」ことを言い訳に何年も経ってしまいました。
私は今年20代最後の歳を迎え、「やる気が出ない」ことを理由に何も進んでいない自分に気づきました。
私は「もうやるしかない」と、とりあえず「書くこと」をただやってみることにしました。ひとまず下書き保存でもいいから書く。
すると、自分の追い込まれた状況も後押ししてか、書きたいことが日々の生活で頭にどんどんと浮かんでくるようになりました。
「〇〇について書こう」「△△について書きたい」
途端に文章を書きたいという気持ちに溢れている自分に気がつきました。
そしてこれが「やる気」なのだと気づきました。
「やる気」が出ないことを言い訳に「やらない」自分が、まず「やってみる」ことで「やる気」が出たのです。
ここからはこの体験についてのただのメモです。
・ある命題が真(=正しいこと)であるとき、その対偶も真である
・ある命題の対偶が真であるとき、その命題は真である
急になんだ?という感じですが、
「やる気が出ずにやらない」自分と「やってみたらやる気が出た」自分
対比して俯瞰していたら、これは対偶の関係にあると気がつきました。
「ある命題の対偶が真であるとき、その命題は真である」
つまり「やる気が出ないからやらない」のならば、
「やるからやる気が出る」と発想を転換できるということ。
「やる気が出ないからやらない」私にとって、
その対偶である「やるからやる気が出る」は真実であったのでした。
これを読んでくれているあなたが、
「やる気が出ないからやらない」に共感できるのならば、
きっとあなたもまた私と同じ「やるからやる気が出る」人のはずです。
「きっと」ではなくこれはこの世の真理なのだと思います。
ぜひ小さくても「やってみる」ことから始めてみましょう。